気付いたことがある。私、文章を書くのが苦手だ。
好き好んで日記書き始めたやつが何言ってんだと思うかもしれないが、ここ何日か書いていることでなおさらしっかり「苦手だ」と自覚した。嫌いではないんだけどね。
でその原因をいろいろ考えていたんだけど、たぶん言語系の能力が他に比べて低いところが関係している気がする。
去年の夏ごろにADHDの診断が出たのだけれど、その際にWAIS‐Ⅲという知能検査を受けた。簡単に言うとIQを測る検査で、総合のIQだけじゃなくて大まかに4つにわけた分野ごとのIQも出る。(言語理解・作動記憶・処理速度・知覚統合)
ここから色々書いていくけど専門家じゃないから間違っていたらごめんね。白井はこう理解しました、ぐらいの感じで読んでください。
その4つが簡単に言うと言語・記憶・処理・理解みたいな感じで分かれてて、白井は理解については結構良かったんだけど他はどれもそんなにパッとしないし、なんなら言語が一番低かったんだよね。言語のカテゴリの内容としては知識がどのくらいあるかとか言葉の意味をどのくらい正確に理解してるかとかなんだけど、そこが低いからか自分の考えを言葉にするときなんかに何となくふわっとした言葉しか出てこない。
ADHDでおそらく言語理解の数値が高いんだろうなっていう人の文章を読んだことがあるんだけど、もうね、文章の解像度というか深度というか、とにかく全然違う。読んだときに書き手の伝えたい内容が輪郭を持ってしっかり頭に入ってくる。文章を書くのが上手いとかそういうことではなく、たぶん思考そのものの輪郭のシャープさが違う。
私は何かを考える時、水で濡らした画用紙に点々とインクを垂らしていくみたいに感じたことをぼんやりと広げてみて、でだんだん考えていた一つ一つの点の境目が混ざりだしていって、最後に混ざった全体を眺めてみて「ああ、結論としてはこういうことかな」と理解するような思考のたどり方をしている。だから感覚的には結論を出せているんだけどそのプロセスを人に説明しようとするとかなりざっくりとした説明しかできないし、自分自身もあんまり細かいところまで考えられていない。
これは勝手な想像だけど、言語理解が高い人はその辺がもっときちんと論理的に考えられる感じなんじゃないかと思う。現国でいう論説文みたいに、しっかりスタートからゴールまでの道のりが無駄なく明確に文章化出来ているというか、仮に脳内ではぼんやりと考えていてもそれを頭の外に引っ張り出すときにはきれいに加工されて言葉になって出てくるみたいなイメージがある。なんていうか、スポーツで言う感覚派と理論派みたいな違いがそこにはあるように感じる。
まあ、だから何だという話なんだけど、とにかく自分はそういったところが弱い。
だから文章を書くのが苦手だ。喋るときとかはぼやっとしてしまう輪郭の部分を相手の反応を見ながら言葉を変えたり補足したりすることができるのでそこまで気にならなかったけど、文章になるとそれができないから弱点がそのまま剝き出しになる。
今なんか考えていることを片っ端から文章にしているからかなり読みにくいし回りくどく長ったらしい文章になっていると思う。ここまで読んでくれているあなたはすごいよ。ありがとう!
これから日記を書いていく中でこのあたりが多少改善されることを願いつつ、明日以降も継続していけるよう頑張りたい。
なので、良かったらまた気分が向いた時にでも成長してるか確認してください。
ではまた明日。